水泳帽

上手く結べない帽子の紐と格闘していたケロロは、やがてすぐに飽きてしまった。
「ギロロー」
「自分で結べ」
小さい頃から一緒の親友は、すぐに察したらしくケロロがオネガイするより早く切り捨てる。

「なんだよ、ケチっ! ……ゼーローローくん!」
赤いおたまじゃくしに見捨てられたケロロは、今度は床に座り込んでいる青いおたまじゃくしにターゲットを変えて、ごく自然に、極力フレンドリーに(と、ケロロが思っているやり方で)、肩に手を乗せた。
何やら作業に集中していたらしい青い肩はびくりと跳ね上がり、気弱な声が上がる。

「な、なに? ケロロくん…」
ゼロロは、ケロロくんの手…変に生暖かい…などと思いながら、びくびくと緑のおたまじゃくしを見上げた。

「甘やかすなよ、ゼロロ」
「え? え?」
自分の準備に没頭していた彼は、話の流れについていけない。
幼い頃から人一倍体が弱く、何をするにも遅いゼロロが皆についていく為にはより作業に集中しなければならず、それ故周囲の状況の変化に気付けず、結局取り残されてしまうという悪循環を生むのだ。

「ねー。俺のも結んでっ!」
そんなゼロロを全く気にする様子もなく、ケロロはストレートに自分の要求をつきつけた。
「ええっ? で、でも…先生が自分で結びなさいって…」
大人や先生の言いつけには従って当然という育ち方をしているゼロロにとって、その要求は飲みがたいものだった。
ケロロくんのお願いは聞いてあげたいけど、でも先生の言うことは守らなくちゃいけなくって…。

「いいじゃんー。俺とゼロロくんの仲だろー?」
「えっ」

僕とケロロくんの……仲…!?

ゼロロが青い目をぱちくりさせる。

僕とケロロくんは………
えっと、えっと……


―――……友達。


たったそれだけの言葉に、ゼロロの胸はぽっと熱くなった。
ケロロとギロロは、ゼロロにとって初めての友達なのだ。

つまりゼロロは、この年になるまで友達というものに縁が無く、こういった関係性に全く免疫がなかった。
過剰な憧れを抱いていると言って良い。


一方それほど深い考えがあって言ったわけではなかったケロロだったが、目聡くゼロロの変化を見て取った。
そういう勘だけは鋭い。

「友達の頼みを断ったりしないよなっ」
「え…う…で、でも…」
「困った時に助け合うのが友達でしょ?」
「!」

助け合い。
友情。

キラキラ、キラキラと、その言葉はゼロロの中で宝石の如きまばゆい光を撒き散らした。
まさにゼロロの憧れそのもの。
ケロロの言葉は、本人が思っている以上にゼロロのツボを突いていた。


「う、うん、分かったよ……と、友達だもんね」
「そーだよ、友達だからさ!」
なにやらぽーっとなっているゼロロと調子のいいケロロに、側で見ていたギロロはほうとため息をついた。



「早く早く」
ゼロロに自分の帽子の紐を託して、ケロロがぱたぱたと手足を動かす。
「う、動かないでよぅ、ケロロくん。うまく結べない…」
心底困ったというゼロロの声音を聞くと、ケロロも少し考えてぴたりと動きを止めた。

「ん、分かった」
結んでもらえなくて困るのは自分なのだ。
素直に大人しくすることにする。

しばらくゼロロや周りを見るともなしに見ていたケロロだったが、すぐに退屈して口を開いた。
「あのさぁ」
「うんん…っと、こうなって…え?」
人の紐を結ぶというのは、自分のそれをするよりずっと大変な作業だ。
一生懸命、どうやったら上手く蝶結びになるのか考えながら手を動かしていたゼロロは、ケロロの呼びかけに律儀に手を止めて顔を見た。
一度に色々できるほど器用な子供ではないのだ。
やっぱりそんなことはお構い無しに、ケロロは続ける。

「あのさぁ…。ゼロロってさ、空とおんなじ色なのな」
「…えっ」
「目も空色だし」
そう言って、ゼロロの目を覗き込むケロロの漆黒の瞳。
漆黒の中に青い自分が見える。


至近距離でケロロにじっと見つめられて、ゼロロはどぎまぎした。
何しろ、免疫が無い。

友達に何かを頼まれたり、あまつさえ、それを先生に逆らってまでしてあげたり。

二人きりで向かい合ったり。

目を覗き込まれたり。

自分の色のことを言われたり。

何かに似てるとか。


そういうことに全く、全然、慣れていなかった。
何もかも新鮮で、ドキドキする。
嬉しい気持ちが湧き上がってくる。

ゼロロは空を見上げた。

今日のケロンの空はどこまでも青く設定されており、その澄んだ青さは確かにゼロロの体色によく似ていた。


ドキドキする。


『ゼロロってさ、空とおんなじ色なのな』


嬉しくて恥ずかしくて、ゼロロは真っ赤になった。
青い肌にさあっと朱が差す。

「あ、ありがとう……」
なんて言ったらいいのか分からず、でもとにかく嬉しい気持ちになったことを伝えたくて、やっと紡ぎ出した言葉だった。
「? それより早く! センセー来ちゃうよ!」
礼を言われるようなことを言った覚えのないケロロは、首を傾げながらも何故か固まってしまったゼロロを促す。
「う、う、うんっ…!」

先生に見つかったら…という恐怖と嬉しい出来事の高揚感が相まって、先ほどにも増して一生懸命ケロロの紐を結び始めたゼロロに、続いたケロロの発言が聞こえることはなかった。



「ホゴショクだよなー。時々いるの気付かないもん」



思い出は美しいままに。
今もドロロ兵長の記憶の奥底に大事に刻まれている。

(2007.08.29)